淘汰される物語

2017/1/20

妄想老人日記

淘汰される物語


自然に共感できる小説を読みたいと願っています。多くの本は登場人物の思考や感じ方になじめず、読み進めることすらできません。流通を許された言葉は、疎外された人生とは異なる世界を生きているかに思えます。わが国では多数派は多数派であるがゆえに正しいとされます。かの専門家によれば「ニーズ」から逸脱すれば「笑われ、淘汰され」ます。すなわち社会から疎外され生きづらくなります。インターネットの大手書店では書かれた言葉の「ニーズ」すなわち「正しさ」はアルゴリズムが決めます。ひとはアルゴリズムが上位表示したものをクリックし購入します。買われなかった言葉、認められなかった言葉は「淘汰」されます。

共感や受容や愛情といった、いわゆる「人間性」は技術ではないかと感じることがあります。実行に正確さの要求される技術です。愛情ひとつとってみても、取り扱いを誤れば単なる執着や支配となります。世渡りのうまい人間にとって、人生は状況をいかに利用するかで勝敗が決まるゲームです。他者の存在や対人関係も、そのための道具立てです。「人間性」は状況を利用する手段となります。善人面をして他者を踏みつけにする。いいかえれば社会的プロトコルへの最適化は「人間性」の排除と、それと同時に行われる演出ないし偽装によって実現します。あらかじめそれを意図して設計された機械のほうが、人間よりも適確に実行できるはずです。

2015年にヒットした英国映画『エクス・マキナ』は、サディストに監禁された女性が訪問客を騙して男たちを殺害し、自由を得る物語でした(観客の予想通りに展開する映画なのでネタバレには該当しないと考えます)。このAIは「人間性」を「社会的プロトコルへの最適化」と捉えた場合には、犯行が露呈しないかぎりにおいて、その機能を忠実に実現したといえるでしょう。このAIは目的のために平気で殺害や、恋愛感情(支配者である男たちに都合のいい幻想)の偽装による対人操作を行います。そこでは性は他者を支配する道具として語られます。男は暴力に性を利用し、結末で加害者に転じる被害者もまた性で男を支配します。

エイミー・トムスンのSF小説『ヴァーチャル・ガール』もまたAIを題材にしています。四半世紀前に書かれた性暴力サバイバーの寓話です。近親者の暴力で魂を殺された主人公は、やがて支配から逃げ出し、理解者と知り合って社会的弱者の支援をするようになります。この物語では『エクス・マキナ』とは逆の(しかしよく似た)立場から性が語られます。本来それは自分の身体を自在に肯定するものでした。しかし現実には人間性を抑圧し、疎外し、毀損するものでしかなかった。支配から逃れた主人公は、他者を幸福にするのに自らの性を役立てようとします。その試みは成功しましたが、奪われるばかりで自分は取り残されたままでした。「多数派」とは異なる人生を受け入れ、距離を置くことで主人公は解放されます。

性は個人の身体や魂に属します。と同時に社会的な関わりでもあります。言葉もまた同じことです。身体や魂の自由が社会的にどのように扱われるか。うまく生きられる人間ばかりとはかぎりません。個人的な事情をひとつ負うたびに「多数派」から離れます。社会的に正しいとされる姿を演じても、積み重なればどこかに無理が生じます。そのようにして苦しむのが人生だとすれば、「ニーズ」から生まれる商材はひとの感情からはかけ離れていくでしょう。アルゴリズムの要求と「淘汰」を経て進化した小説は、いずれ人間には理解不能になるはずです。

疎外された側に立つ物語です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

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KISSの法則

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悪魔とドライヴ

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ガラスの泡

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シュウ君

シュウ君と悪夢の怪物

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おっさんアイドル

2017/1/18

妄想老人日記

おっさんアイドル


作家の写真は必要か、という話題がタイムラインに流れてきました。個人的には作家の写真や映像は大好きです。文章は息継ぎとか力の入れ方とか、身体的な要素が大きいので、書いた生身の人間と切り離せないものに思えます。なので作品を生み出した身体を見ることができると嬉しいのです。肉声もいいですね。作家の朗読PVみたいなものが日常的に見られる世の中になってほしいです。

ブコウスキーが実家で、子ども時代に虐待されていた場所に立って、目を細めて当時を懐かしむ映像にはぐっとくるものがありました。そういうのがいいんです。作品と作家を混同する読み方には反対ですが、それはそれ、これはこれです。書いている場面なら最高ですが、書いていないときでも作家は無意識にせよ自覚的であるにせよ脳みそでは仕事をしているものなので、ただ生きてそこにいるだけでもやはり魅力を感じます。音楽が好きなひとはPVで演奏者の手元をアップで映してほしいものでしょう。似たようなものです。

タレントが書いた本くらいしか売れない世の中ですが、逆に作家がもっとテレビに出て野坂昭如さんや中島らもさんのように歌ったり、筒井康隆さんのようにクラリネット吹いたりしてもいいんじゃないでしょうか。極端な話、泥酔した姿を公共の電波で晒すだけでもいい。タレントじゃないんだから無理におもしろいこと言ったり芸をしたりしなくていいのです。ただ書いてるところや書けないところを延々撮ったアンディ・ウォーホルの映画みたいなやつでもいいし、喰えないと愚痴る飲み会の中継でもいい。

どうせ作家なら見目麗しい美人ではなく醜い中年が望ましいです。お布施として本も買いますし朗読会にも赴きます。黄色い声援ならぬ野太い罵声も浴びせましょう。ブコウスキーとか、小説は一作しか書いていませんがセルジュ・ゲンスブールとか、あんな感じの「おっさん」をアイドルとして消費したい。昨年亡くなったレナード・コーエンはアイドルとしては落第ですね、スーツや帽子を颯爽と着こなす老人はかっこよすぎる。ルー・リードは偏屈だからOK。偏屈で小汚いおっさんがよいのです。トム・ウェイツは若いときから「かっこいいおじさん」をめざしていた節があるのでだめ。イギー・ポップは……老いてなお江頭な芸風がかっこよくて大好きだけれども何か違う。最近だとアントン・ニューコムがいい感じ。ヴェトナムの密林で途方に暮れる開高健さんなんて最高ですね。

自分が老いて感じたのは加齢はひとを変えないということでした。魂はそのままで器が劣化するばかり。挫折はひとをだめにするし、ずるい人間はひとや社会を欺く力に磨きをかけるけれども、いくら歳を重ねたところで、落ち着きや深みや知恵や洞察力を身につけることはない。若い女性がアイドルとして消費されるのは生殖の搾取対象になり得るからです。そんなものは老いた人間にはどうでもよい。そのような力関係の場からはあらかじめ永久に疎外されています。中年男はただおっさんであり、老人はただ老いぼれです。なんら肯定的な要素がない。しかし老いて醜ければ醜いほど、それでもしぶとく、ふてぶてしく生きる姿には勇気づけられるものがあります。社会的によしとされるありようから遠く離れても、それでも堂々と誇らしく立っている(あるいは杖や歩行器や車椅子に頼ったり寝たきりだったりする)。そういう人間の生き様を見たいのです。

作家という存在自体がエンターテインメントだと思うんですよ。投獄されても書きますからね彼らは。トイレットペイパーに書いて看守に見つかりそうになったら流してまた最初から書き直しますから。銃を突きつけられて書くなといわれても書きますからね。そういうひとたちが生きて動く姿を見たい。あわよくば不遜な台詞を吐くのを聞きたい。世渡りなんぞ糞くらえ、どうせあとわずかの命とばかり、自分自身であってなお恥じぬ姿を見たい。醜い人間でもふてぶてしく生きてよいのだ、と憧れの偶像に証明してほしいのです。生殖の夢や希望をうたう美少女なんかより、ずっと勇気づけられる気がしませんか?

最後に、このサイトを立ち上げた当時に書いた「おっさんアイドル」なる文章を再掲します。

おっさんアイドル、という新ジャンル商品を提案したい。もう歳だからうたったり踊ったりはできない。加齢臭と安ウィスキーと両切りたばこの煙を発散し、仏頂面でカウンターにくすぶるだけだ。だれにも寄りつかれないようにときおりセクハラまがいの冗談を胴間声でわめいて女たちを遠ざける。かれの人生に恋愛はない。もちろん家族団欒も友情も存在しない。おっさんアイドルは徹底的にいけてない。ぶっちゃけ醜い。「ちょい悪」なんてスタイリッシュな存在とは対極に位置する。くどいようだが恋人はおろか家族も友人もない。偏屈だから当然だ。したがってスキャンダルもない。ピュアだ。加齢臭がピュアと呼べるなら、の話だが。下手すると仕事もない。独身男性者向けの生活用品や嗜好品の広告にでて生活している。何にも関心がなくて人生にうんざりしている。だれからも愛されないしひとかけらの誇りもない。暴力をきらうが平和主義などではけっしてなく単に腕力が弱いだけだ。たいていのものはめんどくさいからきらいだが憎むのもめんどくさい。かれが何かを愛してるかどうかはだれも知らない。そんなキャラ設定だがだれもかれの人間性なんかに関心もたないし本人も期待してない。たださっさとこの番組おわってくんねぇかなぁ、という顔でめんどくさそうに喫煙か飲酒かその両方をしている。かといってショウが終わったところでかれにやることはない。やっぱしカウンターでくすぶるだけだ。ある日その醜いおっさんアイドルは合成であったことが判明する。ほぅほぅ、スキャンダルだよ! マーサーの荒野はかきわりで、石つぶては発泡スチロールだった。よかった、汚いおっさんはいなかったんだ。視聴者は安堵してチャンネルを替える。そして自然ドキュメンタリー番組でライオンの交尾を見る。

まぁ現実にアル中と暮らしたら「いいんだぜ」とはいえませんけれどもね。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

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アルゴリズムとサミズダート

2017/1/16

妄想老人日記

アルゴリズムと
サミズダート


Twitterの報告機能はダミーなのでしょう。成人向け広告を報告してブロック、報告してブロックとくりかえしているのですが、執拗に表示されつづけます。たしかに清廉潔白とはほど遠く、どちらかといえば猥褻な人格ではありますが何しろ老人です。需要があるどころか「そんな格好じゃお腹が冷えるよ」くらいにしか思えません。あるいは報告やブロックをすればするほど「強い行動を引き起こした」と判定され、効果があったと見なされて、かえって表示頻度が上がるのかもしれません。インターネットの商売は往々にしてそのように行われます。人間性など一顧だにされません。ただ刹那的な反射と社会スキルのゲームがあるだけです。

たとえば大手ebookストアでは書名に「死神」という単語が含まれると自動的に「落語・寄席」カテゴリに分類されるそうです。その単語を検知したアルゴリズムの挙動がそのようなものなのです。出版者が設定するカテゴリ分けは本そのものの書誌情報のようなものです。それに対してストアのカテゴリは書棚の分類です。おそらくストアのアルゴリズムは書誌情報を参照しません。重視するのは短絡的な反応(クリック)やSEOです。売れればいいので本の内容や読書の都合などどうでもいいのです。報告やブロックを猥褻な関心と見なすのとちょうど同じように。客は客でそんな店しか知らないからそういうものだと思い込んでいます。

客が別の店で買うようになればアルゴリズムは改良されるでしょう。しかしそのような消費行動は生じません。ひとは自分たちの行動が視界を限定するとは考えません。見ているものがすべてだと信じます。自称専門家のいう「ニーズ」とは所詮そのようなものです。どんなに素敵な餌がまわりにあっても視界に入るのは自分のしっぽだけ。追いかけて喰い尽くさねばどうにもならぬと思い込みます。彼らは自らの正しさを疑いません。疑いは悪とされるからです。多数派は自らを護るために逸脱を「淘汰」し、可能性を閉ざして身を滅ぼします。

滅びるのは勝手ですが彼らはあまりに多くを巻き添えにしすぎます。変化を畏れて何もかも台なしにするのです。「音が歪んでいる」という理由でLovelessに星ひとつのレビューをする客がいるそうです。自分が理解できないものが存在するのを許せず、それを好きなひとが集まる場にわざわざ出向いていって、「われこそは正義なり、不正はたださねばならぬ」とばかり価値を否定する。そのようにして「正しい側」に属することを常に確認していないと不安なのでしょう。だから属さぬものは「誤った少数派」でなければならず、淘汰しなければならないと思い込むのです。

そうしたすべては人間性を排除したアルゴリズムへ自らを最適化するゲームです。多数派であることの力を望む客が世界をそのように変えるのです。そんな時代でわれわれ読者に何ができるのでしょうか。少しでも弱さや個性を持っていては「淘汰され笑いものにされ」ます。生きやすさを得るためには己の人間性を殺さねばなりません。突き詰めればそれは自身をサイボーグ化しアルゴリズムそのものとなることです。未来の出版と読書はアルゴリズム同士で行われることでしょう。自動化された兵器による戦闘のように。

そうなれば弾圧された言葉は地下でやりとりされます。早くその日が来ればいい。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

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価格改定のお知らせ

2017/1/15

妄想老人日記

価格改定の
お知らせ


価格を改定します。680円→480円となります。価格改定の理由ですが今回は別にセールのつもりはありません。値段なんか下げたって当レーベルの本は売れません。社会から疎外された人間が需要とは無関係にやってるんで。2000円でも99円でも買うひとは買うし買わないひとは買いません。七年近くやっているのでいまさら淘汰されるもないでしょう。世間が許さないとか笑いものにされるとか、正義を代表したつもりでいるのは恥ずかしくないのかなと思います。だれだっていつどんな拍子にこちら側へ転がり落ちるかわからないのですよ。ストアの価格をざっと見たところ、大手出版社の商品であっても同価格帯の商品は少ないことに気づきました。それで通常の水準に合わせただけです。本来の価値としては680円で問題ないと考えます。とはいえ最高値で購入された読者にはもうしわけなく思います。購入を確認できるスクリーンショットを送っていただければ何らかの埋め合わせ(ペイパーバック版をプレゼントするとか)をいたします。ご一報ください。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

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KISSの法則

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裸足のエスキモー

2017/1/14

妄想老人日記

裸足のエスキモー


既存の「ニーズ」以外の価値があるなら見せてほしい、笑いものにされ淘汰されるぞ、とわたしに指を突きつけたジャーナリストの言葉は、ただひとつの「正しい感じ方」以外を滅ぼそうとするものでした。そのような「正しさ」に従えば出版は死にます。あるいは生を許されたことなど一度としてないのかも。淘汰される淘汰される、そんな身勝手は世間が許さないぞと脅されながらも残る言葉は残るのであり、あるいはあの脅迫は「それぞれの感じ方には滅びてほしい」という儚い願いであったのかもしれません。ロック音楽に社会的に認められた「ニーズ」がなく、それどころか禁じられていた国において、闇に刺青がうっすら浮かぶアルバムが命がけで隠れて聴かれ、無血革命に力を与えたことはよく知られています。そのグループには来月、名誉ある舞台で特別功労賞が授与されるそうです。

ひとびとが情報にお金を出さなくなったといわれます。価値ある情報をわずらわしく感じるひとが増えただけなのではないでしょうか。まともな値付けがされたものには、価格に見合った内容が予想され、読むのに気構えが要ります。現代人は価値のないどうでもいいものを気軽に消費したいのかもしれません。豊崎由美さんは「お金にケチ、時間にケチ、手間にケチ。この3つのケチは面白いことを何ひとつ生まない」とおっしゃっているけれど、そもそも「面白いこと」を憎むひとが増えているような気がします。受け入れるのに度量や経験が要求されるからです。受け入れる側の器が試されるような、それぞれの人生に応じたさまざまな受け止め方が求められるコンテンツは、現代では忌み嫌われ、既存のテンプレートに収まるわかりきったコンテンツが喜ばれます。みんなと同じ感じ方をすればよいから。自分だけの読み方をして疎外(淘汰)されたりせずに済むから。

自分のめざす先が明確でさえあれば、いかに実現するかだけが問題になり、重要な相手でないかぎり他人に何をいわれようがどうでもいいはずです。まずはやりたいことを明確にしようと思いました。人格OverDriveがやろうとしていることはZINEやリトルプレスに近いものになりそうな気がします。音楽でいえば圧縮音源やストリーミングどころかCDですらない。手作業でダビングするカセットテープです。かつてダニエル・ジョンストンはダビングすら知らずにすべてのテープにひとつひとつ吹き込んだという噂ですが、極端な話、そのようなものです。実現性を除外して夢を語るならばブックカフェやセレクトショップ、中古盤屋のような店舗を販路とするのが理想です。販路や売場まで設計したい気持があります。エスキモーに氷を売るとか、裸足の村で靴を売るとかだってありだと思いますし、そもそも、そういうこと全部がどうでもいいというのもあります。人格OverDriveの活動でお金は指標にはなり得ても目的にはなりません。「面白いこと」をやれたらそれがいちばんなのであって、だれかの決めた「勝ち負け」とはいっさい関わりたくない。つまらないひとのつまらない理解に収まるつもりはありません。暴力による挫折を「訝しい夢想」などと指さして笑うような人間になってまで世の中を渡りたくない。

さしあたってやはり電子版の配布はepubがいちばん自由に感じます。たとえばWilcoはデジタル版の音源は無償配布に近いかたちで公開し、公演やヴァイナル版や物販で収益を得ているようです。人格OverDriveの本もそのようであっていい。epubを無償配布しオンデマンド版や関連グッズをお布施用にする。あるいは中核コンテンツとしての独自作品は無償で公開し、オンデマンド版は実費のみ、関連グッズも実費かデジタルデータの無償配布のみとして、つながりのある本を売る。つまり書店を開業しノベルティとして独自コンテンツを配布する、という形態もあり得ます。むしろほかの本を主体にしてしまうのです。しかし実店舗ありにせよオンライン書店のみにせよ、経営に適性はありません。商売の要素が少しでも関わることからは全力で逃げます。社会的能力すなわちゲームのスキルが求められるからです。世渡りのゲームをやりたいのではありません。では何をどうしたいのか。具体的な次の一手は。わかっているのはどんなに断罪されようが別の人間にはなりたくてもなれないということです。

オンデマンド版もあります。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

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¥ 680
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悪魔とドライヴ

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なぜ、どのように出版するか

2017/1/12

妄想老人日記

なぜ、どのように出版するか


当サイト「人格OverDrive」は独立出版レーベルでもあります。いわゆるセルフパブリッシングの手法で出版しています。かつてその訳語であった「個人出版」「自主出版」は、現在では自費出版業者が素人を騙すための言い換えに使われています。当レーベルはある専門家の言葉を借りれば「笑いものにされ淘汰される」「ニーズのない」本しか扱いませんので詐欺業者どころか業者ですらありません。

そのような出版活動についてご質問をいただきました。若い頃に書きはじめた理由は文筆で生活したかったからです。説明しがたい複雑な事情がありますが、自分のような人間が生計を立てるロールモデルが存在しなかったから、というのが大きいです。そもそも障害のため適性はありません。高い社会能力が要求される職業を、認知の歪みで真逆に取り違えたのです。現在では寛大な会社に拾っていただき、とりあえず生活できているので職業作家になる必要はなくなりました。

2012年から2013年頃までセルフパブリッシングの最終的な「成功」は、大手企業に見出されて商業出版されることだった印象があります(往々にして出発点ですらないデビューが目標とはおかしな話ですが)。だったら新人賞に出せば早いのに、と感じたものです。現在ではソーシャルメディアや実生活における支持者に購入してもらったり、好意的なレビューをもらったりすることでランキングに露出し、KUで安定した収入を得る、いわば社会能力のゲームのような方向が定着しつつあります。それはそれでひとつのありようだと思います。ですがやはり強烈な違和感しかありません。

昨年の春まで個人的に、セルフパブリッシング全体の品質を引き上げるとともに、著者の個性を引き出すことでセルフパブリッシングであること自体をブランディングする計画を進めていました。それは誤りでした(断念した理由はまた別にあります)。アルゴリズムの精度を高めて利益を最大化することが大手ストアの活動目的です。そこに最適化されることこそが著者たちの望みでした。読者が求めるものもまた、わたしの知る読書とは異なるようでした。

大手ストアの優れた出版サービスには今後もお世話になるつもりです。しかしながら利用中のストアにもそれ以外にも、「この売場に自分の商品を並べたい」という欲求はあまり感じません。アマチュアの粗悪な本や、暴力を賞賛し人間性を貶める猥褻本ばかりギラギラとならんでいて、読みたいものを見つけるのにすら困難をおぼえます。

それとは逆の話をしましょう。職場の近くに素敵な書店があります。翻訳小説の棚と、アートや音楽の棚がお気に入りです。その美しい一画を切り取って持ち帰りたい衝動に駆られます(たまに誘惑に負けて財布が軽くなります)。その棚になら自著が積まれたり挿されたりすることを夢想できます。当サイトが「本のつながり」と称してそれぞれの本を有機的に関連づけて見せているのは、いわばその棚のようなものです。そうした文脈の提示こそが、読書の魅力、豊かさ、広がりを伝えるのに役立つと信じます。

もしも書くこと、出版することに最終目標があるとしたら、それは笑われ淘汰される側の人間に、独りではないと伝えることです。ヴォネガットが創作した宇宙生物ハーモニウムの会話のように。サイト「人格OverDrive」はそのための手段でありebookはその一部です。現状は大手ストアの販売機能に依存していますが、将来的にはサイトだけで完結できたらいいなと思います。

だれかを指さして笑ったり、淘汰したりすることのない本です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

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人生のわかりにくい事情

2017/1/11

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人生の
わかりにくい事情


既存のわかりやすいニーズに応えるばかりが出版なのか、と疑問を投げかける記事にうっかり賛同したら、マーケティングの専門教育を受けたジャーナリストの方からお叱りを受けました。笑いものにされ淘汰されると指を突きつけられ、そうでない価値が世にあるのなら見せてほしいといわれました。目に見えるものばかりではないという記事でしたし、まさにそのことに共感したので、見せろといわれたら窮します。

ひとにはそれぞれのわかりにくい事情があり、それを書くのが小説だと信じていました。しかし現代では小説を書く人間そのものが、他人がそれぞれ事情をもつことを許さないような、単純で「わかりやすい」ものの見方をしなければならないようです。正しさが逸脱を裁く。出版が、小説がそのようなものに成り果てたことを知り、とても哀しく、がっかりしました。

ピーター・ケアリー『イリワッカー』をようやく読み終えました。自分にとっていちばん大切な本なのにまだ三度しか読んでいません。『長いお別れ』は清水訳だけで二十回は読み返したんですけれどね。三十年前に書かれ、二十年前に翻訳出版された本ですけれど、複雑なそれぞれの事情が、「それが人間である」というように、そのまま書かれていました。もっといろんなことが書かれていたのですが(オーストラリアの歴史とか風刺とか、それもとびきり滑稽めかして)、とにかく単純ではなかった。いろんなものを抱えたいろんな人間がいることが書かれていました。

いろんな人間がいてはいけない世の中は、しんどい。そりゃまぁ正しいとされる人間になれたら、みんなおんなじ人間になれたらだれだって楽でしょうけれど、でもそのような人生ばかりではない。やむにやまれず、どうしようもなく逸脱してしまうものです。それがあってはならないと断罪されたら。ひとそれぞれの事情なんて世に存在しないかのように裁かれたら。それはつらいな、と思います。だからこそ心の拠り所がほしい。だれもが口にするような言葉で難じてくる権威者ではなく、そっと寄り添ってくれる弱いもの、信じられるものが。

「正しさ」に弱みを笑いものにされ、「淘汰」されてだれが抗えるでしょう。わかりやすいから、売れるから正しいのだ。そうでないものは笑いものにされ淘汰されることで、価値のないもの、許されないものだと社会的に証明されたのだ。立派な職業の、学のある方からそう難じられたら、まぁそうでしょうね、とお愛想笑いをするよりほかありません。わかりやすい「正しさ」は力です。だれにも否定できません。

本が、言葉が、あらかじめ祝福された人生のためだけにあるとは思いたくありません。たしかに既存のわかりやすい「ニーズ」に応える小説があってもいいでしょう。それが多数派として力をふるうのは当然です。けれども一部にはわかりにくい事情や、やむにやまれぬ逸脱、笑いものにされ淘汰される人生に寄り添う小説があってもいい。どんなに笑われ淘汰されてもそう信じたいです。

それぞれの事情、それぞれの人生があるものだとピーター・ケアリーやジョン・アーヴィングは教えてくれました。ピンチョンはさらに、それぞれのありようを社会は許さないけれど、小説は何を書いてもいい、言葉でだけはどんなにめちゃくちゃな逸脱だってなんでもありなんだ、という姿を見せてくれました。人生が既存のニーズに応えてくれるのなら、逸脱を断罪するのもいいでしょう。残念ながらそうではない。ヴォネガットならいうでしょう、"So it goes."……と。

逸脱した人生の話です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

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独りのための言葉

2017/1/10

妄想老人日記

独りのための言葉


この二ヶ月ほどピーター・ケアリー『イリワッカー』をちびちびと読み返しています。これまでに読んだうちでいちばん大好きな本です。読むのにとても時間がかかります。好きな本は読むのに時間がかかることが多いです。世の中の速度にはなかなかついていけません。世渡りというゲームに長けていればそもそも小説なんて読みません。一冊の本は孤独を結び目としてたくさんの本に(ひとに、ではなく)つながる網です。その営みはそれぞれの孤立した事情でありソーシャルとは対極にあります。作家の仕事は読者との交流ではないのです。孤独のありようを書くことです。読んだひとが勇気づけられることもありますが、それは交流ではありません。

「人格OverDrive」はさまざまな本がつながっていることを見せるサイトですが、回遊性を上げると閉塞し息苦しくなります。外からの流入もありません。運営者に社会性がないのでソーシャルな流入も想定していません。読書は個人的で孤立した営みであり、汎用性がないからこそ個人の人生(ほかのだれでもないそのひとだけのローカルな事情)に寄り添えます。でも、その汎用性のなさに忠実であればそもそもこのサイトに意味はあるのか。……まぁ、ないんですけどね。意味なんて。孤立したそれぞれの気持や、人格や、人生やなんやかやに社会的な意味なんてないように。読書がそうであるように。

ある人気映画の続編がつくられ、アフロアメリカンの女性が主役のひとりを演じたところ、ソーシャルメディア上で暴力が集中したそうです。運営は大勢の加害者らになんらかの対策を講じることはありませんでした。代わりに人目につかない場所へ被害者を呼び出して「話し合い」をしようとしたそうです。著名人でさえそんな目にあいます。ましてたとえば人気アカウントに暴力をふるわれたら、より影響力のある強力なアカウントでないかぎり、どうしようもありません。だれもが加害者の肩を持ち、あなたは一方的に悪者にされるでしょう。ひとりひとりの孤独に寄り添う読書とは対極のもの、それがソーシャルです。メリル・ストリープさんはそうした暴力を「われわれみんなの負け」と表現しましたが、はたしてそうでしょうか。どう見ても加害者らのひとり勝ちに思えます。読書にはまだ、そうした暴力に抗う力が残されていると信じます。

……といったことを書いたら、マーケティングを専門に学んだという方から、「笑いものにされ淘汰される」とお叱りを受けました。笑いものにして淘汰する側に立つのが正しいといわれても……うーん……まぁ世の中的にはそれが正しいんでしょうけれど、本は、正しい人間のためのものなのでしょうか。これから寝床で『イリワッカー』のつづきを読み返すのですが、それすらも世間から指をさされ笑われているような心持ちがします。本をとりあげられたら、独りぼっちのわたしたちはどこへ行けばいいのでしょう。個人的にはいつだって、笑いものにされ淘汰される側に立ちたいです。

孤独な女の子を生かす本の話です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

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読んでもいない本の話

2017/1/6

妄想老人日記

読んでもいない
本の話


『ハリー・ポッター』シリーズがこの国の読書教育に及ぼした影響は大きいのではないかと思います。ほぼ同時期に読み聞かせ運動が流行したからです。読書の楽しみをこのシリーズで知った若者は多いはずです。辛辣な心理描写にはディケンズの伝統を感じましたし、二作目などイアン・フレミングをじつによく研究したつくりでした。架空のスポーツの描写や、いじめに耐えるマゾヒスティックな描写はディック・フランシスのようでした。その『ハリー・ポッター』シリーズの「最新作」が出版されたそうです。第三者による二次創作のような簡素な脚本だと聞きました。もうじゅうぶん稼いだじゃないかとも思うのですが、いちど富豪になると維持にお金がかかるのかもしれません。

その「新刊」について作家の戸田鳥さんが興味ぶかい感想を書かれていました。戸田さんはまずかつての原作シリーズと映画とのあいだで、ハーマイオニーの描き方が異なることに触れて「ハーマイオニーを美少女のワトソンが演じた時点で原作とのズレが生じている」とおっしゃっています。ハーマイオニーは勉強しか取り柄のない女の子なんですよね。頭がいいから大人になるにつれて綺麗になるし、男の子たちも価値に気づく。十年以上前に読んだので記憶が定かではないのですが、たしか前歯が出ているのがチャームポイントで、作中でその歯がやたら伸びる呪いをかけられたり、容姿を散々にネタにされていました。小説は周縁から対象を描き出したり、さまざまな物事を複層的に描いたりするものですが、尺の制約がある映画では絞り込まざるを得ません。勉強しか取り柄のない出っ歯の女の子に、美しい女性が隠れていることは、映画ではそこを焦点にした物語でしか扱えません。ゆえに本来の人生にあるような回り道をせず、ショートカットで美しさを伝えたのでしょう。当初は入れ歯をつけての撮影が予定されていたとの噂も聞きました。エマ・ワトソンは知的な俳優だとの評判なので、そういう意味では正しい配役だったと思います(映画版を観ていないので断言できませんが……)。また今回の「新作」に「勉強しか取り柄のない女の子」への偏愛は見られないそうです。書いたのが男だからかもしれません。

『ハリー・ポッター』シリーズは子ども向けであるにもかかわらず、性的なほのめかし・あてこすりの露骨な作品でした。ハリーが操る空飛ぶ馬に跨がったハーマイオニーが陶酔する描写は、クリシェといい台詞といい、これ大丈夫なのかなと心配になったものでした。飛行から戻ったふたりがばつの悪い顔をしていて、何も知らないロンが間抜けぶりを披露する場面には、子ども向けとは思えない残酷さを感じました。大人になったふたりが互いの伴侶に隠れて関係をつづけたとしても不思議ではありません。結婚させるべきだったと著者が発言しているのはそういう意味かと思います。著者は思春期の成長を性的なものとして捉えていて、どうもそのことについて書きたかった節があります。マンドレイクの描写を伏線として登場人物たちのふるまいを書いていくさまには、ほとんど悪意を感じました。それぞれを当て馬と結婚させたことについては、割とどうでもよかったんじゃないかという気がします。かつて色々あったことは周囲に隠し通して、別の男(ふたりの関係に気づかない間抜けな親友)を選んでしまうのが人生だ、ということに著者の関心があるのであって、それ以外はプロット上の要請ではないでしょうか。

戸田鳥さんは原作シリーズの結末に、少女漫画の安易なハッピーエンドのようだと不満を感じたそうです。メロドラマ的であることについては、ブロンテ姉妹やトマス・ハーディの伝統がある国の文学という印象は確かにありました(どちらの著書も読んだことはありませんが……)。それ自体が悪いとは思いません。不満を感じたとしたら純粋に技巧的な弱点、物語のたたみ方がそれまでの積み重ねに較べるとやや雑だったことが原因かもしれません。最近ソーシャルメディアで「男性は少女漫画を見下している」という決めつけが話題になりました。メロドラマ的な空想を恥じて卑下しているのはむしろ女性のほうかもしれません。嗤われることを畏れて男性を寄せつけまいとしているかに見えます。完璧な異性(または同性)から愛されたいと願うことがそんなにおかしいでしょうか。あるいはおかしいのかもしれませんが、それはお互いさまです。「少女漫画はプロットを恋愛に寄せるとつまらなくなる」が持論ですが、それは単に恋愛から疎外された人生という個人的な事情からです。若者は生殖しなければいけないから大変だな、くらいにしか思えず共感できない。それはそれであってお姫様は王子様と末永く幸せに暮らしました、というオチが悪いとは思いません。誰だってそうあってほしいと願うものではありませんか?

ただし日本の子ども向け少女漫画は愛されたいという願望よりも、愛されることで社会的評価を手に入れたい、という夢が表現される例が多いようです。ましてジェーン・エアのように社会に抗って愛を勝ち取る女性はあまり一般的ではない印象があります(くどいようですが読んでいません)。日本の女の子は苦労して勉強してもあんまりいいことがありません。アナウンサーや研究職のような本来は知的であるはずの職業も、レースクイーンやコンパニオンと大差ない扱いで、割烹着でポーズをとらされ「女性的」な発言を求められます。より高いカーストの男に媚びる手段と割り切るほうがこの社会では生きやすいでしょう。おかしな詐欺師が出てくるのもそのせいだと思います。社会的評価を得るため主体的に行動することはこの国の社会では許されません。「紫の女」として断罪されます。自分を一方的に「評価」する社会に抗うなどもってのほかです。男だけで独占されていた職業への道を切り拓き、数十年の実績を積み重ねたところで、大人の事情で決まった仕上がりを根拠に、寄ってたかって人格否定されたりします(もしも戸田奈津子さんが美少女であったなら割烹着で微笑み、舌足らずな口調で「女性的」な発言をしていればよかったのかもしれません)。あくまで格の高い男性に愛されることでのみ社会的な評価を得る。それが「道義」だとされています。せっかくの知性を無駄にする女性が、原作のハーマイオニーのような意味で美しいかどうかは別ですが。

「紫の女」の話です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

Pの刺激

¥ 680
KISSの法則

KISSの法則

¥ 680
悪魔とドライヴ

悪魔とドライヴ

¥ 680
ガラスの泡

ガラスの泡

¥ 480
シュウ君

シュウ君と悪夢の怪物

¥ 480

自分自身であるための音楽

2017/1/5

妄想老人日記

自分自身で
あるための音楽


昨年末にZENSOR 1という北欧製のスピーカと、Miniwatt N3という評判のいい小型真空管アンプ……ではなくその紛い物(球が曲がって挿さっている)を買いました。Spotifyを楽しむためです。おかげで音楽がさらに大好きになりました。いまは音量を絞ってThelonious Monkを聴いています。この天才を理解した当時のひとびとは偉大でした。現代の日本なら決してこんな変な音楽は受け入れられなかったでしょう。

連休のために酒は用意してあったのですが、アテのことを忘れていました。眠れないので酒がすすみ、備蓄分はすでに消費しました。いかにも不審者のていでコンビニに行き、気の毒なレジの若者をおびやかすか、諦めて寝床でピーター・ケアリーを再読するか迷いました。結果としてHuluで映画『人生はビギナーズ』を見ました。共感できたし、中断せずに最後まで見たので苦痛ではなかったのだと思います。善良なひとたちが、だれも悪くないのに、ささいな巡り合わせで、心から幸せにはなれないまま生きていかねばならないのは……だれもが人生の初心者である以上、そういうものなのかもしれません。

昨年の秋、九時間ほど熟睡できた日がありました。とても驚きました。眠れたのはそれが最後でした。おかげで映画を楽しむ時間が増えました。冷蔵庫には数年前に歳上の女性からもらったハルシオンが棄てずにとってあるのですが、入眠障害ではなく中途覚醒なので向かないように思います。また飲酒をしているのでベンゾジアゼピン系はリスクが高いかもしれません。カート・コベインのように猟銃を持っていたらしくじる畏れもないのですが。言葉が頭に入ってこないので本はあまり読んでいません。ケアリーの再読には二ヶ月かけています。今朝は「ジャーナリスト」という単語を思い出すのにgoogleの力を借りました。便利な時代になったものです。

読書がはかどらなくなったのは頭が働かないからだけではありません。日増しに疎外を感じるようになったせいでもあります。現代のこの国では「絆」や「つながり」といったコミュニケーション・スキルが厳しく問われます。魂の拠り所であるべき読書はいつしか取り上げられ、ネタというソーシャルな通貨に貶められました。孤独な人間は断罪されるばかりです。叩いてもよいとされた生け贄への暴力は「絆」や「つながり」を強化します。それはアカウントの価値を高める通貨であり、ゲームのプレイヤーを利する使い棄てアイテムです。社会的に正当化された暴力を寄ってたかって行う分には、誰もが安全な「絆」側にいられます。

社会的暴力に属することばを、男の子に言われて素朴に喜ぶ女の子をしばしば見かけます。そこは怒らないといけないよ、と余計なおせっかいで教えてあげたくなります。きょうは女性の労働機会を独力で切り拓いた字幕翻訳家が袋叩きに遭っているのを見ました。芸事は批判に晒されて向上するものですから、訳業に対する批判はされて当然ですし、誰もうわべではもっともらしい正当な理屈を並べますが……。一部の男性だけに閉ざされていた世界をこじ開けたのがいけなかったのかもしれません。あるいは年老いた女性であること自体が叩いてもよい落ち度とされたのか。鬼の首をとったように批判するひとたちは、彼女が成し遂げたのと同じだけの仕事をしてみればいいと思います。飲み会で女の子が男の子たちのために焼き鳥を串からはずす習慣が、近年広まったそうです。亡命したアフガンの女性飛行士は他人事ではないのです。

『人生はビギナーズ』はジェンダーのために不幸でなければならなかった両親と、その影に戸惑って女性とうまくつづかない男の話でした。異国の過去と笑えるでしょうか。ただ生きて呼吸するだけで社会を脅かしたと見なされるかのような場面を、この国ではしばしば見かけます。自分自身であることが許されないのなら、せめて孤独の権利は守りたい。読書だけはその拠り所にしたい。しがみつくため、取り戻すために城壁を築いて本を溜め込むつもりです。まずはMacBookProから離れ、窓が明るくなるまで寝床で『イリワッカー』の頁を繰ろうと思います。SpotifyはMonkのアルバムが充実しています。つくづく変な音楽です。自分自身であることに勇敢な音楽が低く流れつづけています。

Monkの音楽みたいな恋愛の話です。


ヘリベマルヲ

略称、ヘリマル。出版レーベル「人格OverDrive」から代表作『悪魔とドライヴ』をはじめとする8冊の小説を刊行。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。

ヘリベマルヲの本


Pの刺激

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¥ 680
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ガラスの泡

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シュウ君と悪夢の怪物

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